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富士吉田市
学校法人 聖徳幼稚園

聖徳幼稚園

認定こども園

ともに願われ、生かされている「いのち」への気づき

保育理念・保育方針

やんちゃな子からは やんちゃな子の光
おとなしい子からは おとなしい子の光
気のはやい子からは 気のはやい子の光
ゆっくりやさんからは ゆっくりやさんの光
正直者からは 正直者の光
男の子からは 男の子の光
女の子からは 女の子の光
教室も 運動場も 光いっぱい
 
校長先生からは 校長先生の光
先生方からは 先生方の光
用務員さんからは 用務員さんの光
学校中 光いっぱい
 
 これらの言葉は、浄土真宗・本願寺派の僧侶であり、ことに小学校教育等に尽力された東井義雄氏の詩です。
 これらの言葉の礎となる「仏教の思想・浄土真宗の教え」。それに基づく幼児の情操教育。それぞれの一人一人の「いのち」の光が、<ともに願われ、生かされている「いのち」>であることへの気づきを促しながら、心身ともに感性豊かな幼児の育成・教育を目指します。
 園児たちからは園児たちの個性あふれる「いのち」の光が、先生方からは先生方の「いのち」の教育の光が、ともに輝き合いながら、幼稚園中、光いっぱい、になることを願っています。

すてきな笑顔のままで

 聖徳幼稚園は、1919年、富士の麓、富士吉田の福源寺(浄土真宗 本願寺派)の境内に産声をあげました。それから100年、記念事業として令和2年には、新園舎が完成し、それに伴い「幼稚園型 認定こども園」として新たな歩みを始めました。
仏教的情操教育(「まことの保育-浄土真宗本願寺派-)」の一環として「花まつり(お釈迦様の誕生日)」や各行事での「仏教礼拝(仏参)」を行います。
また専門講師による①幼児期の体操教室「体操・聖徳幼稚園プログラム」②「楽しい英語教室」「楽しく学ぶプログラミング教室」を課内教育(委託)として行い、小学校教育への準備を促します。
 さらに「園外クラス・お泊まりクラス・サマーチャレンジ(遊覧船・動物ふれあい体験等)・夏の夕涼み会(花火師による花火大会)・実りの収穫」等、多くの体験を通して協調性や積極性を育みます。

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聖徳幼稚園のアクセス

山梨県富士吉田市下吉田3-41-15

https://www.shoutoku-youchien.jp
0555-22-0099
shoutokuyouchien★shoutoku-youchien.jp

メールアドレスの@は迷惑メール対策のため★に置き換えてあります。

<種 別>
幼稚園型 認定こども園
<定 員>
3歳未満児:12人
3歳以上児:160人
<職員数>
○名
 

その他事業

 

 

姉妹園

 

 

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実習・ボランティア・園見学の受入状況

 実習
 ボランティア ×
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Q&A

子どもの主体性を育てるためにどのような考えを持って実践していますか?

仏教の教えに「青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光あり」との有名な言葉があります。私たち大人は、ついつい自身に都合のよい色眼鏡をもって、すべての事象・物事、そして人に対して偏見やとらわれの色づけを行い、事実・真実を、あるがままに光る色のごとくに見つめる事が不得意なようです。先の言葉は「青は青のままに光り、白は白のままに光る」その事実・真実なる光の輝きを、そのままに受け止め見つめるべきことを私たちに説示しています。その点では私たち大人よりも、子どもたちの感性のほうが、かなり勝れています。園児たちからは園児たちの「いのち」の光が、その個性ままに光ります。その個性あふれる「いのち」の光を、光るままに受け止めていく教育の中に、自ずと一人一人の「子どもの主体性」が育つように思います。
そのような考えの中、聖徳幼稚園では、次のように教育理念・方針の「テーマ」を掲げ実践しています。
・【仏の心を身につけた子どもに】(仏教的情操教育の実践)
・【お友達と仲良くできる子どもに】(お友達との「協力・譲り合い」の意味を考えさせながら、自己の言動の内省を促し「寛容性」を培う。)
・【よく考えて行動できる子どもに】(「協調性」と共に「よく考えて」を合い言葉に、子ども一人一人の「積極性」を育てる。
・【明るく素直な子どもに】(元気な「あいさつ、お返事」「感謝の思い」を言葉にしながら、将来につながる「人倫」への感性を養う。)

これまでの保育の中で印象深いエピソードは。

色々なエピソードがありますが、最近の事で申し上げるなら、新園舎完成に伴う旧園舎の解体も終わろうとしていた時のことです。徐々に解体が進む中、最後に残った旧園舎の門の側で、わずかに一輪ほどの小さな花を付けた細い薔薇の木がありました。お帰りの際、ある園児の男の子が、その小さな薔薇の花の前で、お母さんと一緒に、しばらく立ち止まっていました。こちらから彼に「どうしたの?」と尋ねたところ、悲しげに「この薔薇の木は、どうなるの?」と一言。私たち大人が「ハット」させられました。彼が、その薔薇の赤い「いのち」の光を、小さな身体の内に、しっかりと深く受け止めていた事実。私自身、恥ずかしくなりました。
 教育をする教員側が、園児の純粋無垢な感性に教えられ、気づかされる。幼児教育の現場には、そのような体験が多々あります。それが幼児教育の不思議な魅力なのかもしれません。